産みの苦しみがない人生なんて、炭酸の抜けたメロンソーダと同じだ。
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【連載】深夜のモノローグ #01
クリエイター(主に代表のみなせしゅん)が、エッセイを綴る企画です。
深夜の勢いに任せ、読んでいてむず痒くなるような胸中をさらけ出すことで、同じように悩みを抱えているクリエイターさんの心が少しでも軽くなるような、「悩んでいるのは自分だけじゃないんだ」と安心していただけるような連載にしていきたいな、と思っています。
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深夜のモノローグ #01
ライター:みなせしゅん
中学生の頃、自分は炭酸が飲めなかった。
理由は簡単。口の中が痛くなるからだ。
こんな飲み物を飲みたがる人の気が知れない、と本気で思っていた。
とはいえ、飲食物の好き嫌いは少ないほうがいいことはこの頃から自覚していたので、少しずつだが克服する努力をしていた。
高校生になって、努力の甲斐もあり徐々に炭酸が飲めるようになった。
この時は卓球部に所属していて、その日は地元の大会があった。
うちの部はほぼ毎回2回戦で敗退するぐらいのチームだったが、なんだかんだ頑張った後はお腹がすく。
部活のメンバーで、会場近くのサイゼリヤに行こう、という話になった。
高校生のサイゼリヤなんて長居するのが前提なので、全員でドリンクバーを頼んだ。
「炭酸飲めないんだよね~~いけるかな~~」なんて笑いながら、なんとなく勢いでメロンソーダを注いだ。人生で初めてのメロンソーダだった。
ストローを刺して席に戻り、生まれて初めて飲んだメロンソーダ。
思ったよりも、美味しかった。
ただ、やっぱりまだ炭酸は苦手だったから「炭酸抜いたらもっと飲みやすくなるんじゃね?」と思って、ストローで一生懸命かき混ぜて炭酸を抜いてから飲んでみた。
そしたら、思ったより美味しくなかった。
この時自分は、メロンソーダに入っている炭酸の美味しさを知ってしまったのだった。
時は経ち、2019年の1月。クリエイターとしての「みなせしゅん」を始めた。
たまたまTwitterで回ってきたとある方の作品に衝撃を受け、強い覚悟とともにクリエイターを名乗り、作字と呼ばれるジャンルの作品を作り始めた。
これが最初期の作品だ。
水属性。#typography #logodesign #logo#タイポグラフィ #ロゴ #デザイン pic.twitter.com/7ApGuIk2S0
— みなせしゅん (@ShunMinase) January 19, 2019
カフェイン。#typography #logodesign #logo#タイポグラフィ #ロゴ #デザイン pic.twitter.com/5XtK6blayg
— みなせしゅん (@ShunMinase) January 20, 2019
それから作品を作り続け、ありがたいことに、ロゴデザインのご依頼をいただくことも増えた。
現在Twitterでは2300人強の方にフォローをいただいている。
#誰かの推し作家になりたい
— みなせしゅん@5月タイポ展 (@ShunMinase) October 27, 2019
推してほし…… pic.twitter.com/1gOHsDMtaQ
クリエイターは孤独だ、と思う。
自分が作るモノは自分しか生み出せない。上位互換はいるかもしれないけど、替えは利かない。
自分を守ってくれるのは自分の制作物と実績だけ。だから必死で産み落とす。
なんでこんなことやってるんだろう、とたまに思う。
常に「何か作らなきゃ」という焦燥感に駆られ、山積みのタスクを片付けるため睡眠時間を削ってパソコンの前に座り続ける人生。
でもパソコンの前に座ったところで全く捗らない日もあるし、そういう日は捗らない自分にストレスが溜まって悩む。
気分転換にTwitterを開くと、他のクリエイターさんの制作実績が流れてきて、悔しくてまた悩む。
クリエイターとしての「みなせしゅん」を始めてから、本当に毎日悩んでばかりだ。
クリエイターなんてやめてしまえば、こんな苦しみからは解放されるんだろうな、って思う。
特に何か作るわけでもなく、仕事だけそこそこちゃんとやって、夜は友人と通話しながらSplatoonをやって生きていく人生。
休日だって、PCなんて持たずに何の気兼ねもなく遊びに行けるだろうし、納期が迫っているせいで誘いを断る、なんてこともないんだろう。
最高だと思う。
じゃあ、戻ればいいじゃないか、と思った。
朝起きたら会社に行き、通勤電車の座席でパソコンを開くこともなく、好きな映画や小説を自由に楽しむ余裕があったあの人生に。
会社から帰ったら適当にYouTubeを見ながらご飯を食べ、適度に家事もしつつゲームにどっぷり漬かっていただけのあの人生に。
クリエイターじゃなかった頃の「みなせしゅん」に戻れば、今の全ての悩みから解放されて楽になれるんじゃないか、と。
でも、もうそんな人生考えられなかった。
どうしても、クリエイターじゃなかった頃の「みなせしゅん」に戻れるとは思えなかったのだ。
どうしてだろう。
「産みの苦しみ」を噛み締める喜びを、知ってしまったからだ。
クリエイターを始めてから、人生が数倍も楽しくなった。
苦しんで産み落とした創作物に対しての、「好き」「最高」といった声。
苦しんで編み出した企画に参加してくれた方々からの、「楽しかった」「ありがとう」という声。
大げさかもしれないけど、その声を聴く瞬間は、自分はこの世に存在していいんだって改めて思えた。
もちろん、己の価値判断を他人に依存するのは危険なことだとわかっているし、自分の存在意義がわからなかったわけでもない。
自己肯定感は高いほうなので、自分で自分を承認するのは比較的得意だ。
ただその頃から、誰かの「好き」「最高」「楽しかった」「ありがとう」が、とてつもなく大きな支えになっているのは事実だ。
むしろ、それ無しでは物足りなくなっていることに気が付いてしまった。
まるでメロンソーダみたいだな、と思った。
炭酸が抜けていても、メロンソーダは飲める。でもやっぱり炭酸がないと物足りない。
炭酸なしでは物足りない体になってしまったのだ。
こんな生き方に出くわさなければ、そのままのほほんと幸せに生きていたかもしれない。
でも一度、クリエイターとしての幸せを知ってしまった以上、この生き方に浸かってしまった以上、元には戻れない。
大成したい、頑張りたい、自分の好きなことで成功できるなら他の趣味全部捨ててもいい、って思えた2019年1月の覚悟に、自分はきっと一生縛られ続ける。
茨の道なんてこと分かりきってた。でも、それでもいいって思えたあの瞬間を、一生忘れない。
誰かの「好き」「最高」「楽しかった」「ありがとう」をもらう幸せを、一生忘れない。
クリエイターは、黒歴史を作りながら生きていく生き物だと思う。
今の自分が作っている作品たちも、ずっとしまい込んでいた胸の内をぶちまけたこの独り言も、いつか「この頃は未熟だったなあ」とか「こんなちっさいことで悩んでたんだな」って黒歴史として笑えるくらい、大きな存在になれてたらいいな、と思う。
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Writer この記事をかいたひと
RYOZEN Scratch Creations代表。
1994年生まれ。千葉育ち。
2019年よりフリーランスで活動を開始。
ディレクションやフロントエンド・バックエンドのコーディング・プログラミング、グラフィックデザインからWEBデザインまで、わりとなんでもやる人。
座右の銘は「レベルを上げて実績で殴れ」。
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